Diary In The End of Edo Period
知識とは、認識によって得られた成果、あるいは、人間や物事について抱いている考えや、技能のことである。心理学では、知識は長期記憶として扱われているものである。つまり、知識は人に学ばれ、理解され、長期記憶として保存され、生活に応用されるものであると認識している。その知識の媒体としてよく知られている教科書は、客観性と謹厳さを保つために、情報を正確的に記載していた結果、堅苦しい印象が強い。近年の教科書は情報を分かりやすくすると共に、堅苦しさを減らすために様々な工夫を行っているが、内容自体の堅苦しさはあまり改善されていない。そのような教科書を中心に行う学習は受動的になりがちで、教科書の存在は必要であると同時に、学習の能動性を引き上げる支援的な存在も求められていると考え、インタラクティブ物語による知識の伝達方法を研究している。本研究は、教科書の知識をはじめ、従来堅苦しいと思われている情報を人々に受け入れられやすくするインタラクティブ物語を制作することである。
一年目の作品、「歴史日記シリーズ」は中学校の歴史教科書の内容を再編集し、一つの箱を中心に展開する教育ゲームのシリーズ作で、「幕末日記」はその一作である。プレイヤーは江戸末期に生きる一般の人から見た時代の物語を、現実にある道具を使って体験することで、教科書だけでは伝えきれない時代の雰囲気を感じ取り、歴史事件が実際どのように人々の生活に影響していたのを実感させる。同じ歴史事件だとしても、社会での地位によって目に見えるものや感じることなど、事件との関係性が全く異なるため、異なる人生を選ぶという分岐を設け、それぞれ政治・経済・社会生活を中心に体験させる物語を考案した。さらに、知識と物語を繋ぐ学習支援機能があり、物語と一緒に印象に残る裏話で知識に対する理解と興味を促す効果が期待される。
Diary In The End of Edo Period
知識とは、認識によって得られた成果、あるいは、人間や物事について抱いている考えや、技能のことである。心理学では、知識は長期記憶として扱われているものである。つまり、知識は人に学ばれ、理解され、長期記憶として保存され、生活に応用されるものであると認識している。その知識の媒体としてよく知られている教科書は、客観性と謹厳さを保つために、情報を正確的に記載していた結果、堅苦しい印象が強い。近年の教科書は情報を分かりやすくすると共に、堅苦しさを減らすために様々な工夫を行っているが、内容自体の堅苦しさはあまり改善されていない。そのような教科書を中心に行う学習は受動的になりがちで、教科書の存在は必要であると同時に、学習の能動性を引き上げる支援的な存在も求められていると考え、インタラクティブ物語による知識の伝達方法を研究している。本研究は、教科書の知識をはじめ、従来堅苦しいと思われている情報を人々に受け入れられやすくするインタラクティブ物語を制作することである。
一年目の作品、「歴史日記シリーズ」は中学校の歴史教科書の内容を再編集し、一つの箱を中心に展開する教育ゲームのシリーズ作で、「幕末日記」はその一作である。プレイヤーは江戸末期に生きる一般の人から見た時代の物語を、現実にある道具を使って体験することで、教科書だけでは伝えきれない時代の雰囲気を感じ取り、歴史事件が実際どのように人々の生活に影響していたのを実感させる。同じ歴史事件だとしても、社会での地位によって目に見えるものや感じることなど、事件との関係性が全く異なるため、異なる人生を選ぶという分岐を設け、それぞれ政治・経済・社会生活を中心に体験させる物語を考案した。さらに、知識と物語を繋ぐ学習支援機能があり、物語と一緒に印象に残る裏話で知識に対する理解と興味を促す効果が期待される。
多摩美術大学情報デザイン学科研究室後援
Copyright © 2020 Tama Art University
Graduate School Information Design Field
多摩美術大学大学院情報デザイン研究領域 研究制作展2022
Tama Art University Graduate School Information Design Research Art Work Exhibition 2022